日本最古の神社のひとつとされる奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社。今年の干支「巳」にゆかりがあり、全国の一の宮のひとつでもあります。神様を祀る本殿を持たずに、三輪山そのものを御神山として祀る原初の姿が残る神社で、この神聖な三輪山、実際に登れるとのことで、登拝して参りました。
大神神社は奈良県桜井市、万葉まほろば線は奈良駅の1番線
三輪山があるのは奈良県の桜井市。JR奈良駅からは1番線の万葉まほろば線で三輪駅に向かいます。「駅すぱあと」アプリで2番線が案内されていて、あやうく違う電車に乗りそうになりましたが、乗車前に気付き、万葉まほろば線の王寺行に乗り、無事三輪駅へ。アプリの過信は禁物。現状優先。



三輪山登拝の受付は9時から。早めに着いたので、昭和61年に作られたという大鳥居を回ってから参道へ。
大神神社に到着
メインの入り口となる二の鳥居からは雰囲気が一変、神々しい雰囲気に。大神神社には、さまざまな摂社や末社がありますが、三輪山の入り口となる狭井(さい)神社を中心に、動線上にある興味あるところのみ回ることに。
まずは拝殿への途中、心身を清める祓戸神社へ。隣の夫婦岩を過ぎると手水舎があり、拝殿に向かいます。






大神神社のご神体は三輪山。本殿はないため、拝殿を通して三輪山を拝むことになります。拝殿の右には、大物主大神の化身である白蛇が棲む杉の木が。神職の方は目的地に向かって歩きながらも、お社ごとに止まってきちんと拝礼をしていたのが印象的でした。
狭井神社からいざ登拝、そして注意点
拝殿の右、祈祷殿の前を通り、案内に沿って狭井神社へ。メグスリノキなどの薬木・薬草が植えられているくすり道を進みます。その途中にある磐座神社。磐座のみが鎮座するのですが、ここの空間はちょっと特別な感じがしました。






狭井神社の鳥居の先に市杵島姫神社と池があり、奥にトイレがあるので、ここで行っておきます。この先にはトイレはありません。
狭井神社はご神祭である大物主の荒魂(あらみたま)を祀ります。また、古代に疫病を流行らせないように行われた祭りが「鎮花祭」として今も伝わるそうです。
登拝受付が始まる9時前後には登拝申込所に人が集まってきます(受付は12時まで)。申込書と登拝料300円を渡し、登拝が初めての人、数人まとめて入山心得の説明を受けます。あくまで、神体山に入らせていただくので、敬虔な心で入山すること、約束事を守ることを注意されます。
- 「三輪山参拝証」のたすきを首からかける
- 写真撮影・スケッチは禁止
- 火気厳禁
- 植物等の採取禁止
- 水分補給以外の飲食禁止(途中にトイレはなし)
- ゴミは出さない、持ち帰る
- 下山は午後3時までに完了(受付は9~12時)
荷物を預けるロッカーもあり(100円を入れ、後で返却される)、背負っていたリュックやいらないものは全部置いていきました。ただ緊急連絡用にスマホは持参。杖も無料で貸し出されています。拝殿奥にあるご神水を小さな水筒に入れて準備。入り口前で大麻(おおぬさ)を振ってお祓いを済ませて、登拝スタート。
「登拝道案内図」に沿ってひたすら歩く
登拝者はガチの登山装備の人から、スニーカーで気軽に来る人までさまざま。毎日来ているらしい修行者と思しき方も見かけました(裸足で歩いておられた)。一部の道は狭いので、一列になって歩くところもありますが、後ろに人がいるとプレッシャーになるので、先に行ってもらい、ゆっくり登ることにしました。
ここに来る電車のなかでハイキング用の靴が良いと書かれたブログを読んで、ビビっていたものの、(1月下旬で寒いだろうと履いてきた)UGGのハイカット靴が底が硬いタイプで問題はなかったですが、やっぱりハイキング用の靴がベター。岩の道を長く歩くので、底が厚くてグリップがあった方が良いです。杖も借りられ、行きよりも、下りの足元悪いところは杖が支えに使えたのが良かったです。
申込時にもらえる「登拝道案内図」のイラストマップに目印となる標柱と「急坂」「滑りやすい」「ぬかるみ・浮石」など注意すべき場所が書かれているので、案内図の通りに進みます。標高270mの三光の瀧のある休舎までは順調でしたが、その先は飛ばさずゆっくり岩の道をひたすら歩きまいた。途中、中間くらいにある目印の「中津磐座」(364.5m)を見逃し、どのくらいまで達したのかわからなくなって少し焦りました。

寒い季節でしたが、歩いていると汗ばんできます。脱いだ上着を入れる袋(折りたたみの軽いリュックなど)を持ってくれば良かったと思いました。水筒、ハンカチ等全部長めのダウンのポッケに入れていたので面倒で脱がなかったのよ、、、また、登拝前半の休舎以外、休憩できる椅子はありません。
普段運動しているわけでもないので、のんびり登ったのですが、標高約467.1mの奥津磐座までおよそ1時間15分くらいでした。山頂は眺望が開けるというわけでなく、茂った木々があるなかに、結界が張られた磐座があるのみ。佇む磐座に人がやってきては祈って、下山していきます。ここで気付きを得た人も多いとか。裸足の修験者の方は、お祈りを唱えていました。
下りの方が気分的に楽でした。下から登ってくる人とすれ違ってもお互いに避ける余裕はあります。日が射してくると、木漏れ日がとても神秘的。ゆっくり下山しても12時前には着きました。
案内によると、登り下りの行程は4km、往復2〜3時間。山登りに慣れた健脚の人なら頂上まで1時間もかからず登れると思います。とはいえ、あくまで登拝なので、タイムを競うものではありません。冬の平日、空いていたのでマイペースで歩けましたが、混んでいたら後ろの人のプレッシャーもあるかもしれません。下山したら、タスキと下山報告書(申込書の写し)を返して完了。
登拝道のコンディションは当日の天気や、季節によって異なると思うので、自分の体調と相談しながらあくまでマイペースで。最終下山時間が3時までで、登拝できない日もあります。
展望台から三輪そうめんの店へ
下山後、大美和の杜展望台に寄りました。曇り空だったのですが、景色が開けて奈良盆地が見渡せます。奈良が盆地なのだということがよくわかります。



ほかにも、知恵の神様である久延彦神社、元伊勢の檜原(ひばら)神社、杜氏の祖先神として酒造関係者の信仰を集める活日(いくひ)神社、大物主の子孫の大直禰子(おおたねこ)神社など見どころがあります。
神社を出て、参道にある、三輪そうめん流し 乾製麺所へ。参道にはいくつかお店はあるのですが、ここに釜飯に惹かれて入店。小麦粉控えてるのだけど、三輪は手延そうめん発祥の地。せっかくなので食べちゃいます。流しそうめんができるようですが、寒いのでにゅうめんを選択。三輪そうめん、細くて喉越しがよく、おいしいです。



三島由紀夫と大神神社
大神神社には三島由紀夫も訪れており、そのことが狭井神社の池の碑に記されています。三島由紀夫のが三輪山倉仰と大神神社の神事を題材にしたのが『豊饒の海』第二巻「奔馬」(昭和44年)。三島由紀夫は、昭和41年には三輪山頂上へ登拝し、拝殿で神職の雅楽講習終了奉告祭に参列。感銘を受けた氏は以下のように伝えたそうです。
大神神社の神域は、ただ清明の一語に尽き、神のおん懐ろに抱かれて過ごした日夜は終生忘れえぬ思ひ出であります。
(略)頂上の太古からの磐座をおろがみ、そのすぐ上は青空でありますから、神の御座の裳裾に触れるやうな感がありました。(略)日本の最も古い神のおそばへ近寄ることは、一種の畏れなしには出来ぬと思ってをりましたが、畏れと共に、すがすがしい浄化を与へられましたことは、洵にはかり知れぬ神のお恵みであったと思います。

大物主の神は大国主?
大神神社が祀るのが、大物主神。この神様について書かれた本『三輪山の大物主神さま』が売っていました(大神神社が監修、著作は同志社女子大学の寺川真知夫先生)。大物主神がどんな神様で、なぜ三輪山に鎮まったのか、『日本書紀』『古事記』から引用し、イラスト入りでていねいに解説されています。額田王などが三輪山について読まれた『万葉集』の歌にも触れています。
大国主が出雲で国づくりをしていたとき、海から自分の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)が現れ、この魂を三輪山に鎮めたという話。。。やさしく書かれているものの、神様の名前、覚えきれないよ、、記紀によって話が違うよ、、という複雑な話をわかりやすく解説しているのがToland Vlogによる「大物主」の考察。
大国主神の別名が大物主神、または大己貴命とであるということは、『三輪山の大物主神さま』にも書かれています。

三輪山登拝は特別な体験。古代からある信仰の地は、調べれば調べるほど奥深い