2025年の吉方は「西南西」ということで、ちょうどその方向にある寒川神社(神奈川県寒川町)に節分前に参拝。その後、寒川神社から残暑お見舞いが来て、ハガキ持参で神嶽山神苑に入れるとの案内が。この庭園は、御祈祷を受けた人のみ入れるのですが、開苑しているのは3月から12月で、節分前には入れなかったのでした。なんとか今年中に行かねばと11月に行ってきました。
1月下旬の平日、御祈祷に行列が
節分前に行ったとき、1月下旬の平日だったにもかかわらず、御祈祷にめっちゃ人が並んでおりました。いくつかの大きな神社で祈祷してもらったけど、祈祷に行列できるのは初めて見ました。行事もなく、節分や七五三でもなんでもない普通の日だったのに。御祈祷は3000円から。
今、多くの神社は経営的に厳しく(6割の神社が年収300万円以下だそう)、数も減る傾向にあるなか、人が集まるだけでなく、祈祷する人が多いというのは、寒川神社は経営的にも成功している神社なのだと思います。Discover Japanの全国唯一の八方除の聖地《寒川神社》の記事によると、「寒川神社のご祈祷数は年間約30万件に及び、その数は日本一」。全国の神社は、寒川神社の成功の秘訣を学びに行くべきではないかと思います。
神社を応援するには、お金を賽銭箱に入れてお願いするだけでなく、御祈祷をしてもらうのが、自分にとっても神社にとっても良いこと。もちろん寄付でも良いと思います。しかも寄付は、確定申告で寄附金控除ができます(個人の祈祷は控除はできません)。


後祈祷の流れは、社務所隣の客殿で申し込んだら、2階の待合室で待機。順番に下に降り、白い格衣を服の上に着用。扉が開くと、そこには結構な数の人が入れる広い拝殿が目の前に広がり、好きなところに座ります。祝詞の奏上、自分の名前や祈願が読み上げられ(たくさん呼ばれるので聞き逃さないように!)、玉串を神前にお供えする一連の儀式から、御祈祷後の授与品をいただくまで、高揚感というか、ワクワク感もありつつ、何だかテーマパーク内の部屋を移動するようなすごくスムーズな流れが出来上がっています。

御祈祷の授与品の内容は、こちらに明記されています。ちなみに、5000円の大式の場合は、記名板剣神札・八方札(九体)・御守・御神土・御箸・御神供・御神酒となります。八方札(九体)は全国唯一の八方除の守護神である寒川神社ならではです。


神社を応援するには、現金を賽銭箱に入れてお願いするだけでなく、御祈祷をしてもらうのが、自分にとっても神社にとっても良いこと。もちろん寄付するのもOK。しかも寄付は、確定申告で寄附金控除ができます(個人の祈祷は控除はできません)。
ものすごいエネルギースポットがここに
寒川神社御本殿の奥に位置する庭園が「神嶽山神苑」。良い庭園と聞いていたので、ぜひ行きたいと思っていました。
神社創建と深い関わりがあり、長い間禁足地でもあった特別な「神域」。御祈祷を受けた人しか入れないため、祈祷後そのまま来た人や、休苑のときに祈祷を受けて、案内を持参した人しかいません。撮影不可のため、公式の動画で雰囲気を。
庭園は9時開苑。外門から入ると手水舎の先にあるのが「難波の小池」。本殿の真裏にあり、寒川神社の起源に深く関わりがある神聖な泉と伝えられてきたそうな。公式サイトでその姿が拝めます。霊感のない自分でも、見えないエネルギーのようなものを感じました。これは、、、ここだけでも来る価値あり。
そして、さらなるエネルギーを感じるところが、八氣の泉。湧水がこんこんと流れ出ている。湧き出る水のフローも美しいのですが、何か空気感まで神々しいです。
裏参拝所という大明神を裏から拝する場所もあります。こういう、正面でないところから拝礼するところ、出雲大社にもありますよね、西から拝む本殿西遥拝場が。
暦の歴史がわかる方徳資料館
個人的に良かったのが、「方徳資料館」。「八方除」についての資料が展示された資料館とありますが、暦についての所蔵品が展示され、「時間の刻み方」が時代とともに変わってきた歴史が学べます。貞観4年(862)から江戸時代まで長く使われていた「宜明暦」などの資料もあります。
暦は、日々の吉凶や季節を正確に知り、自然豊かな恵みを受けるために1000年以上前から使われて来た「案内書」。明治5年12月3日を明治6年1月1日とする改暦は1873年なので、使っているのは150年くらい。日本人はそれよりもずっと長く太陰暦をもとに暮らしていたわけで。
明治の改暦では、時刻も江戸時代の季節で1日の長さが変化する不定時法から、1日24時間の定時法になった。政府による改暦はあまりにも急で詳しい説明も無かったため、福沢諭吉が新旧暦を分かりやすく解説した『改暦弁』を出版し、飛ぶように売れたとのこと。
明治になって急に、はい、今日から時刻も国際基準に変更しますよって言われても。そりゃ困るよね。
とはいえ、宜明暦も江戸時代に暦と実際の天文の動きが合わなくなってきたことが問題視され、渋川春海が日本独自の暦法や観測データに基づく「大和暦」を造暦したと。以降、造暦を行う権限は朝廷から幕府に移りました。
「暦」も時の権力者が作るもの。今は、西暦(西洋のキリスト教に基づく太陽暦<グレゴリオ暦>)で時間が流れている、ということで。
「明治十三庚辰年日用吉凶一覧」という、一年の吉凶方位の方位盤や日の吉凶を表す暦注が書かれたものも展示されていたが、版元が明記されていない「おばけ歴」であって、迷信的なものとして禁止されていたという。さらには、明治16年から伊勢の神宮司を以外の暦の発行は禁止され、新旧暦対照表等の天文学的事項が記された官歴が発行された。明治末には旧暦の記載も禁止されたのだそう。強引すぎる、、、
文字を読めない人たちのためにつくられた絵歴というのもあったとか。また、江戸から明治にかけて、藩によって使っていた暦もそれぞれだったこともわかりました。意外と時間なんて、人間からみるとアバウトなもので、今はグリニッジ標準時とそれがもとになった世界時間という時計に縛られすぎなのでは。
また、庭園内には、茶屋「和楽亭」もあり、一休みできます。

太陽が年に4回も通る場所
寒川神社は春分・秋分、夏至・冬至のときに太陽が神社の真上を通る、ということでも知られています。いずれの時期にも太陽に対してお祭りができる正しい場所なのだそう。
いわゆるレイライン上にあるということですが、レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」というページのレイラインの図を見ると、春分・秋分、さらに夏至・冬至が通る神社って、かなり貴重なのでは。その創建に関わるのが神嶽山神苑で、ここの特別な雰囲気というか霊気は、やはり実際に行くことで感じることができます。
11月は菊花展が開催されていて、見事な菊も見られました。拝殿右にある渾天儀(こんてんぎ=天体の位置・星等を観測する器具)には、四隅に龍が配置されています。



なお、八方除けにちなんで八角形に作られている「八福餅」、1月に行ったときはみやげ店で売り切れで神社近くのJAさがみ わいわい市 寒川店で手に入れました。



(ついで)寒川神社にいったら寄りたいところ
寒川神社のそばには、いくつか立ち寄りたい見どころもあります。JAさがみ わいわい市 寒川店。は地元で作られた野菜だけでなく、お弁当やお惣菜も並び、落花生や八福餅など地元の名産やお土産ものも扱っています。津久井も近いため、在来種大豆で有名な津久井の大豆で作られた手作り味噌がお気に入りです。
Wikipediaの寒川町によると、「2010年にはJA直売店の単位面積あたりの売上が日本一となったことがある」とのこと。土日は混む上、目の前の公園でイベントがあったりすると、駐車場に入るのに時間がかかります。


そして、神奈川県水道記念館。このレトロな佇まいを見るだけでなんだか得した気分になるうえに、無料です。県が広域水道を実現した寒川第一浄水場の送水ポンプ所だったところを、1984年に「水」がテーマの科学館として作ったそうで、水道という公共事業について理解が深まります。
横浜港が開港し、人口が急激に増え出し、木を使った水道を使っていたものの、1882年(明治15年)には水事情の悪さからコレラや腸チフス、赤痢が流行り、神奈川県がイギリス人に依頼し、日本初の近代水道が横浜に完成したという過程が説明されています。
駐車場が少し離れていて、プールの脇をずっと進んでいくことになります。

超レトロ



寒川神社に行ったら、御祈祷を受けて、神嶽山神苑に絶対行くべし。言葉で伝えられない独特の気配が感じられます。

