数ヶ月前に行った能登半島。大変な災害となってしまい、現地の方々の様子がわかるにつれ、その被害の大きさに心を痛めています。今回、能登で手に入れり、食べた食材をご紹介。能登を旅してファンになった一般庶民として、能登の食べ物を知っていただき、手に入る範囲で購入したり、いつか訪れるきっかけにしていただければと思います。参考:能登半島広域観光協会 能登における発酵食文化発掘・発信事業 報告書
能登は日本の伝統食が残る 塩と酒、味噌に醤油といしる
能登の里山里海での暮らしとそこに生きる知恵は、2011年には世界農業遺産「能登の里山里海」として登録されています。そしてそこには、三方を海に囲まれた能登半島は、山で山菜やきのこ、田では米が、海では魚を捕るなど、半農半漁の生活から海の幸と山の幸を生かした食が生まれました。なかでも高温多湿な夏と長い冬を越すための生活の知恵として、発酵食の文化が育まれてきました。
高温多湿な夏と長い冬を越すための生活の知恵として、発酵食が発達。酒や醤油、味噌だけでなく、日本三大魚醤のひとつ「いしり」、魚のぬか漬け「こんか漬け」、寿司の原型「なれずし」、海産物を麹で発酵・熟成させる「かぶらずし」はじめ、「大根ずし」や「米飴」など多岐にわたります。ただし、これらの担い手と喫食者は激減、伝統食文化は、継承の危機にあるといいます。
やっぱり能登といえば塩!そしてにがり
なかでも奥能登(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)の輪島市と珠洲市の北部では今も伝統的な塩作りで塩を作っています。この塩を直接買いたくて、能登行きを決めたのでした。
多雨多湿の日本では天日だけでは塩にならず、海水を濃縮してから煮詰めて塩の結晶を取り出します。この濃縮の方法がいくつかあるなか、砂が敷いてある塩田に撒いて濃縮するのが揚浜式。能登の沖合は、暖流と寒流がぶつかり、プランクトンが豊富、きれいな水質で多様なミネラルを含みます。
1905年から段階的に国の専売制度のもと、塩の生産・流通は国の管理下となり、1972年(昭和47年)には塩田製塩から工業的に作る(ミネラルのない、塩化ナトリウムだけの)イオン交換膜製塩に全面転換。能登の塩田は文化遺産のような形で残されたものの、重労働の仕事への後継者不足と存続の危機にあったところ、塩作りを唯一継続した角花家(NHK朝ドラ「まれ」に登場、塩田千春さんのアート作品のモデル)の努力もあり、平成になって数々の塩田が復活。「能登の揚浜式製塩の技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
道の駅狼煙にある在来種「大浜大豆」を使った大豆製品
能登半島の最先端に位置する狼煙(のろし)地区には在来種の地大豆「大浜大豆」があります。この地域は農業・漁業と観光業が盛んだったものの、1989年頃から観光客の減少や高齢化で耕作放棄地が増加。1997年には住民がまちづくり団体を設立し、2004年から在来種・大浜大豆の生産を始めました。白い花が咲く大浜大豆は評判となり、地元だけでなく、金沢、京都、大阪のこだわりのある豆腐店に使われるようになしました。2009年には住民が出資して「株式会社のろし」を設立し、大浜大豆と珠洲産天然にがりを使った地豆腐をはじめ、豆乳のソフトクリームなど商品開発をしているそう。
参考:総務省 株式会社のろし
この豆腐は道の駅狼煙でしか買えないもの。どうしても行ってみたくて道の駅に行ったのでした。奥能登の在来種「丹生(にふ)そば」も食べられます。直営のオンラインショップもあるので、再開するときには、ここから買ってほしいです(再開までには時間がかかりそうですが、、)。
能登の塩と在来種の大豆で作る味噌もうまい!
おいしい大豆とおいしい塩でできるもの、それは味噌。先の報告書によれば、1984年時点でも82.7%の世帯で味噌が自家製だったものの、1996年にはほとんどができあいを購入するようになってしまったとか。それでも能登には味噌の老舗醸造所が主に海岸線沿いにあり、地元の漁師が、長期間の漁に出港するときに漁船に積んでいった「漁師のための味噌」がルーツ。
能登の味噌は、水分が多く軟らかく、塩辛い。水分が多いのは、料理の際に取り扱いが楽で、かつて溜まりを醤油の代用としていた地域があったことに由来しているそうです。また、不作への備えとして味噌を 3年間貯蔵する習慣があったため、塩分が高く、それが魚介類などの旨みを引き出すことにつながっているとか。
魚醤油のいしりといしる
能登の魚醤油である、いしり・いしるは魚介類に塩を加え、酵素で熟成・発酵させた液体調味料。魚醤油は、タイのナンプラーや秋田のしょっつるが有名ですが、能登では、日本海側の外浦地区はイワシを用いた「いしる」で、富山湾側の内浦地区では魚イカの内臓で作って「いしり」と呼ばれます。確かに、塩田や千枚田の道の駅で売っていたのはイワシの「いしる」で、ふらっとさんで購入したのは「いしり」でした。
独特の香りがあるものの、工場製品の醤油と違い、化学合成の旨み成分などを加えずに発酵させて作られた調味料。本物のうまみがあります。特にふらっとさんはいしり名人といわれた先人の伝統を受け継いで作っているので、とても貴重なものです。とはいえ、現地での使用が減るなど魚醤油離れがあるらしく、むしろ外部の人たちがその価値を伝えていかないと、残っていかないかもしれません!
なお、お醤油は、能登では正月、祭りに用いられるような貴重品で、作るのに手間もかかることから、日常では味噌の上ずみ(いわゆるみそだまり)を使っていたようです。能登地域の醤油は、脂の乗った魚と合う甘みが強いのが特徴で、輪島市の谷川醸造は大浜大豆と珠洲の塩から作った本醸造のお醤油を作っています。
ファンも多い能登のお酒
2020年9月時点で金沢国税局に登録されている能登地域の清酒、どぶろくの製造酒蔵は19軒(珠洲市 2 軒、輪島市6軒、能登町3軒、七尾市3軒、中能登町4軒、羽咋市1軒。
伝統的には、夏場は農業を営み、秋から冬の農閑期に地域の蔵人(くらびと)を引き連れて、酒蔵で酒造りを行っていたそうです。珠洲は製塩を営む地でもあったため、3~4月に作業が終わる酒造は、冬にできる仕事として、魅力的な出稼ぎ先だったそう。能登は、秋に収穫した新米を原料に仕込む寒造り。北陸の厳しい冬の寒さの中で行う「寒仕込み」で、雑菌の増殖を抑えることができ、まろやかな口当たりを生み出しています。
珠洲市宝立町の宗玄酒造は、上杉謙信の城攻め(1577)にあい、七尾城から珠洲に逃れたと伝わる畠山式部大輔義春が「宗玄」と改姓した地で、明和5年(1768)に酒造業を開始。宗玄の酒が甘めなのは濃い味付けの郷土料理とともに発展してきたためという。
首都圏でもこだわりの酒店では宗玄など能登のお酒が置かれています。うちも近所の酒店で年末に買ったのですが、もともと人気だったこと、この災害の応援のためか、もうなくなっていました。通販ではまだ買えるようですが、今年の仕込みはできないと伝えられたそうです。
本物の食が残る奥能登、守らないと!
あらためて地図を確認すると、塩田、醸造所などみんな海沿いにある。全壊したところもあって、単に食べて応援!というにはかなり深刻な被害となっている。日本の発酵食を守ってきた能登半島の蔵、樽や桶、釜などの設備や道具、この土地に生きてきた麹菌。真摯な造り手が手塩にかけて、工場では作れない、味を育んできた場所。インスタントなものに溢れる日本の食の最後の砦でもあったのに。今はただ被害がこれ以上増えないことを祈りながら、少しでも能登のことを知ってもらい、消費につなげてもらいたい気持ちでいっぱいです。
銀座にあった石川県のアンテナショップは2024年3月八重洲へ移転オープンするそうです。それまで首都圏出張販売をします。ほかにも通販などで可能な限り、能登の商品を買うことが少しでも一助になればと思います。
能登に残る伝統の食がピンチ。伝統を守ってきた方々の無事と復活を心から願います