渡辺姓の親戚がルーツを調べたものの、江戸までしかわからずそのままになっていたルーツ探し。NHK「日本人のおなまえ」で、渡辺の姓の祖は大阪と知り、大阪に行った際に訪れてみました。
渡辺さんは嵯峨天皇の末裔、銀座ハゲ天も渡辺星
渡辺・渡邉・渡邊などさまざまなパターンはあるものの、わたなべさんは全国で5番目に多い苗字。 嵯峨天皇(786~842)の子供を祖とする嵯峨源氏の源融の子孫、渡邊綱(わたなべのつな、953~1025)に遡る。綱が摂津渡辺に住み、渡辺を称することで、渡辺氏の祖となったのでした。
綱は摂津源氏の源頼光に仕え、鬼を退治したことから、渡辺には鬼が近寄らなくなり、節分のときに豆まきをしないという言い伝えも。家紋は渡辺星といわれる三つ星に一文字()。銀座ハゲ天のロゴも三つ星に一文字なので、もしやと思ったら、社名は株式会社渡辺ハゲ天で、代表取締役も渡辺さんなんですね。
大阪・船場にある渡辺さんゆかりの坐摩神社
まずは起源の地という、ゆかりの神社、坐摩(いかすり)神社へ。地下鉄の本町駅からすぐ。
神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まり
坐摩神社公式サイトより
由緒ある古い神社であることは確か。構えも立派(大坂城を築く際に、中央区石町から現在の場所に移転)。行ったときはご夫婦が安産祈願のご祈祷をされていた。
社務所にいる方に何か渡辺ゆかりのものはないか聞いたところ、特にないし、渡辺を売りにしているわけではないとのこと。唯一あるのは、大阪市役所が作った「渡辺町」についての「旧町名継承碑」だそうです。
碑によれば、「渡辺町」は明治、大正と編入や編区などを経て、1989年には東区と南区が合併して中央区となった際の住居表示で、渡辺が久太郎町の一部になったとある。なぜ番地でなく、渡辺なのか。さらに新しい住居表示でなぜ渡辺が消滅しなかったのか。という疑問についても、もともと中央区石町にあった坐摩神社が天正年間に大坂城を築くにあたって現在地に移転したとき、「渡辺氏が社家として移住したことに由来する」とある。つまり、渡辺という町名と坐摩神社がセットで移転してきて、平成になって区の合併があった時も渡辺の名をなくすわけにはいかないと大阪市役所が考えた、ということ。
渡辺さんの名前が付いた橋もある!
もとの坐摩神社があった中央区石町(このあたりに船着場があったことから、「渡しの辺り」が渡辺になったという)には坐摩神社行宮 (坐摩神社 旧鎮座地)がある。
しかし、渡辺の名前が付いた橋はそこから西に1.9km、今の坐摩神社からは北に1.8km、徒歩23分のところの、堂島川にかかる渡辺橋。ここにも大阪市による碑があって、由来が書かれている。
渡辺橋の名前の由来は、現在の天満・天神橋付近の上町台地北端部あたりの渡辺の津と呼ばれていた地名のようである
大阪市が設置した渡辺橋の碑より
・・ようであるって、、確定じゃないんか〜い。大阪市のサイトによると渡辺橋は「平安時代にはこの水陸の結節点に勢力を張った渡辺党という武士団があった。そのころから渡辺橋の名は断片的に見られるが、その実態はさだかでない。(略)江戸時代になり、堂島開発にともなって渡辺橋はほぼ現在の位置に架けられた」とある。
つまり、この辺りの川に渡辺と名の付く橋は昔からあったものの場所は不明で、江戸時代に堂島を開発したときに建設した橋に渡辺の名前を付けた、ということ。わざわざ橋に渡辺を付けたのはこのあたりで重要な氏、あるいは地名だったのでしょう(推測)。
渡辺橋は駅名にもなっている!
渡辺橋の近くには京阪電車の渡辺橋駅がある。大阪の人にとっては日常すぎて、何とも思わない駅名かもしれないが、関東の渡辺さんに写真見せたら結構感動していた。自分の名前が駅名に、って。
親戚の渡辺さんは、関東の海なし県にいるので、大阪かつ、川の渡しの辺発祥ということに驚いてました。